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1938 ウクライナ・ハリコフに生まれる
ベルリン、ハリコフ在住
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昨日のサンドイッチ  ボリス・ミハイロフ
60年代から70年代について
あの時代は、すべてがアナロジーやメタファーに対していまより敏感だった。さらなる意味、さらなる解釈があり、真実の可能性がはるかに多様だった。すべてにおいて象徴主義がより多くあった。世界はもっと多くのものを内包していた。
ジュリアン・バーンズ 『メトロランド』
かつて、わたしはまったくの偶然に2枚のスライド・フィルムを重ね合わせ、それを光に透かしてみて、予期せず興味深い映像を目に留めた。片方のフィルムをもう片方のフィルムの1つのコマの上でずらしてゆくと、さらに36個の新しい組み合わせが得られた。コマをもう1つずらすとまた36個…撮られたあらゆるものは、わたしの意志とは関係のない、好き勝手な組み合わせの中で入り混じった。人びと、木々、建物…あらゆるものが互いに重なり合い、混ざり合った。こうしてわたしは、大量のフィルムにすばやく目を通し、大量の面白い組み合わせを見つけ出し、そこから後で良いものを選ぶことができるような〈方式〉を発明した。おまけに、いわば「必要でない」コマもこの過程で使われるようになった。
『昨日のサンドイッチ』というタイトルは、1つのスライドをもう1つのスライドの上にのせ、1つの枠に収めて、「重ね合わせ」あるいは「サンドイッチ(オープンサンド)」と名づけた映像を得るという方式そのものに由来している。〈方式〉の土台となったのは、ひたすら偶然を探求することだ。画家とは異なり、わたしは決してあらかじめ何かを考えておくことはせず、ただ写真家らしく、反応し、選択していった。
2つのきわめて単純な写真が、重ね合わせただけで何か絵画に似たものとなった。この作業によって、写真の可能性は広がっていった。ちなみに、何よりも上手く重なり合ったのは、ソヴィエトにおいては見せるのは控えるべきだとされていたもの――女性の身体の白さだった。わたしにとってはその白さが何か「世界への穴」のようなものとなった。
美しさについて
ソヴィエト時代の非常に有名な批評家で、写真の検閲を担当していたモロゾフとの会話を紹介したい。彼は『重ね合わせ』を見て、突然声を荒げた。「いったいこれは何なんだ?まったくもってひどい!」わたしは「ひどいもの」もまた芸術のカテゴリーの1つだと反論した。モロゾフは一瞬口をつぐみ、「わたしが生きているあいだは公開させない!」と言った。実際、ソヴィエト時代にこのシリーズが公式に展示されることはなかった。
もちろん、ソヴィエト的な美しさとは、イメージが肯定的で、形式面において調和が取れているということである。美しいものが描かれているなら生活が良いということ、ひどいものが描かれていれば生活もひどく、それだけで反ソヴィエト的見解になる。
美しさはわたしたちの社会の重要な規範の1つであり、その押しつけは生活にも芸術にも、あらゆるものに波及していたと言うことができる。そのためロシア女性はブロンドでなければならなかった。理想的な風景は、白樺の下にいるブロンド娘。この絵に肩を並べることができるのは〈夕焼け〉だけだった。シラノ・ド・ベルジュラック(大鼻の持ち主)は、ロシア少女の夢のヒーローには決してなり得なかった。そのためわたしは人生経験と大きな鼻を持って、美しさと戦うことを余儀なくされたのである。
美しさについて、別の説明をしよう。ロシア語では〈赤いもの(クラースノエ)〉と〈美しいもの(クラシーヴォエ)〉という語は、あたかも2つの連結したガラス管のように意味が一致している。たとえば〈乙女は美しい(クラースナ)〉と〈赤い(クラースノエ)旗〉。ソヴィエト時代、〈赤=イデオロギー的なもの〉(色)が〈赤=美しいもの〉(美的なもの)へと流れ込み、そこからほかの潮流をすべて押しだしてしまった。言い換えると、美しいものがあらゆる美的空間を埋め尽くしていったのだ。そしてそれ自体が、ある程度までソビエト・プロパガンダの手段となり、文化において抑圧的な役割を果たした。こんにち、わたしは『サンドイッチ』のシリーズを、様々に発露した美しさの研究と見なしている。これは美しさ、あるいはその死にゆく姿に捧げられた賛歌だと言うことができる。牧歌的に素晴らしい図から、キッチュ・退屈・ひどい人生へと移行してゆくまでの。
時代について
それは、写真に対する最大限の愛と格別にロマンチックな態度の時代、写真の重要性を規定するメカニズムなどこれっぽっちも存在せず(売買などありはしなかった…)、ただ、写真を擁護する可能性の他には何もなかった時代だった。
おもな報酬はただ単に観るものたち(友達や知り合い)の尊敬を勝ち得るということだった。わたしが特に意見を尊重した人の1人に、リトアニアの写真家ヴィタス・ルツクスがいる。写真家は皆、彼のことを知っていた。彼のもとにはソヴィエト中から人がやってきた。日常生活を彼は英雄のごとく営んでいた。ライオンを飼っていた…奥さんは美人だった…「バケツ何杯でも」酒が飲めた…どこかで溺れた…誰かを助けた…祖母のことを話すとき、彼の目には涙が浮かんだ…野蛮なまでにエネルギッシュ…いちど、彼と湖に行ったことがあった。わたしは撮影に行くものだと思っていたが、ルツクスは「さあ、この家の主人のために橋を造ろうじゃないか。あいつは魚を釣ってくれるから」と言った。わたしたちは1週間、首まで水につかって橋を造ったが、主人は1匹の魚もつかまえることができずじまいだった。
彼の写真、わたしの写真に対する彼の反応は、わたしにはとても大切なものだった。わたしたち2人にとって、会って写真を見せ合い、話をしたりすることは必要不可欠だった。彼が死んだのも、写真への愛のせいだったと言うことができる。それは「キッチン」で作品を見せ合っていた時代のことである。あるとき、新しいシリーズを見せるために彼は知り合いの写真家を招いた。その写真家は数人の女と一緒にやって来た。それは本当に力強いシリーズだった。もしかすると、この写真家には理解できず、こんなのは「Shit」だと言ったのも当然のことかもしれない。ルツクスはナイフを手に取り「お前は自分の言葉に責任を持つのか?」と言って、男にナイフを突きつけた。この男は繰り返した。「ああ、Shitだ!」と。そのときルツクスは相手をナイフで刺し、それから救急車を呼んだ。だが、写真家が死んでいるとわかって、窓から身を投げ、死んだ。もちろん人殺しはいかなる理由であれ正当化されない。殺してはいけない、決して。
いったい、いつ、どこで写真を巡る会話が2つの死の原因となり得るか?才能の絶頂にある写真家がこんなにも傷つきやすく、無防備で、写真が〈侮辱〉されるくらいなら死んでもいいと考えているようなことが、いつ、どこで起こるだろうか?これらはすべて当時のソヴィエトの生活において、その特殊なヒエラルキーや架空の野心のせいで起こったことである。
ルツクスは戦後ソヴィエトにおける最も重要な写真家の1人だった、もしかすると最高の写真家だったかもしれない。彼の死とともに英雄=写真家の時代も過ぎ去ったように思う。わたしたちは同時に、そしてお互い知らないままに(よくおこることだが、「空気中に何かが漂っている」)とても近いシリーズをつくっていた。ルツクスは白黒のモンタージュのシリーズ、わたしはカラーの『サンドイッチ』のシリーズを。
暗号化された現実
『重ね合わせ』のシリーズは、すべての「非公式芸術」がそうであるように、共同体の構成員だけがわかるような暗号化されたヒントを大量に隠し持っていた。このシリーズの多くの映像は別々に分けられて保存されていた。いまとなってはまったく害のないものに見えるとはいえ、ある種の危険性を感じさせたからである。
長く続いた禁止や抑圧の時代の後、写真家はまだ現実を反映させる準備ができておらず、加えて撮影のための環境も依然として敵対的なままだった。公式の写真のえせ現実にあまりにもうんざりさせられていたせいで、現実というものに対する興味はいっさい消え失せていた。写真の社会的地位はかなり低く、おまけに写真のほうもまだ可能性のすべてを発揮しきっていなかったため、何か二流なものとみなされていた。
わたしたちは情報に餓えた状態にあり、新しい情報(秘密)はどんなものでも皆の興味の対象になった。秘密を探り当て、行間を読みたいという期待、最後まで述べられていないことを見抜き、理解したいという志向、これこそが当時の主な感覚だった。「暗号化」や「謎解き」の欲求があらわれたのは、はじめに何かを知る可能性が与えられるのに、結局すべてが厳しい検閲に引っかかってしまうせいでもあった。「暗号化」は禁止されたすべての局面に関係していた。政治、宗教、何かを剥き出しにすること…率直さへの渇望、そして常に何かを隠すことの必然性から、二重の意味というものがこの時代の文化規範の基本となった。わたしもまた、自分が獲得した映像の隠された意味をよろこんで解読した。
それは映画芸術が、映画言語を習得した写真の美学に影響を及ぼしていた時代であった。興味深いことだが、シンディー・シャーマンとナン・ゴールディンはほとんどこれと同時期に映画美学へのアプローチを行っている。もっとも、彼女たちはドキュメンタリーの線を辿って行った。わたしたちにとってより興味深かったのは詩の美学であって、現実に基づいたドキュメンタリー映画ではなかった(タルコフスキー、パラジャーノフ)。『昨日のサンドイッチ』のシリーズを、わたしの写真への映画言語の導入であると説明することができるように思う。2つのモンタージュ面がお互いに重なり合ったとき、オーバーラップの写真への翻訳が起こっている。
当時、ほぼ35年前のこと、このシリーズはスライドの形でのみ存在していた。西側に行き、わたしはこのスライドから写真を焼き付けた。もしかしたらもう習慣になっていたからかもしれないが、わたしは1982年頃まで『重ね合わせ』を続けていた。一方、〈メタファー的〉なものが、わたしにとってかつての魅力を失いはじめた。再びそれをシンプルな意味に割り当ててみたくなった。見たものだけを撮り、後で細工をせずに。

二重性
『重ね合わせ』シリーズ――並置、または透視するモンタージュ――は、わたしの成功した最初の作品であり、そのおかげでわたしが写真家になったものだ。なぜわたしはこれを行ったのか? なぜ運良く発見できたのか? なぜこんなにも長くやり続けたのか?
わたしがなぜこういうことを行ったのかを説明できるような、わたし個人の特性を見つけようとしてみた。まず、最初に頭に浮かんだのは、国民的二重性である(ちなみに、ネガフィルムのモンタージュを行っていたルツクスにも、国民的二重性の問題は関係していた。リトアニアのきわめてナショナリズム的な環境に身を置きながら、ロシア人の妻を持っていた彼は、奇妙な状況に陥ることがしばしばだった。)。
いつだったか妻と散歩をしているとき、祖母や領地、相続した小間物などの話を聞きながら、わたしは自分がどこにも属していないこと、自分のルーツについて何も知らないことに思い至った。のちに、このような「創造的」存在の説明となるものをロシア文学の中に見いだした。
おそらくは多分に俗流唯物論的であるわたしの憶測は、のちにソヴィエト芸術において継続されるロシア文化の3つの路線と関係している。この憶測についての話を、わたしは「持たざるものの芸術、あるいは夢の復権の試み」と名づけた。これは『重ね合わせ』に関することで、それを説明するものだった。
すべての芸術界のインテリは、仮に〈世襲〉と〈新入り〉に分かれるとしてみよう。世襲のインテリのうち、権力に「かわいがられる」者たち(わたしはそれを順応主義(コンフォルミスト)的インテリと呼ぶ)は、この権力によっていわば保護され、それによって地位や物質的安定を得ていた。これ以外の世襲インテリ、権力に「拒否された」者たち(非順応主義者(ノンコンフォルミスト))は、病的なまでに憂愁をつのらせる過去の記憶、未来の夢に生き甲斐を見いだした。
ほかの要因を取り除いてみると、ある程度の貧しさプラス天賦の才能が、芸術における崇高なノスタルジーの感覚を表現するためのエネルギー的前提条件となったと仮定することできる(アンドレイ・タルコフスキー(注:1) )。別のケースでは、世襲のものプラス物質面の豊かさが、生活の充実感を感じ取り、それを芸術において反映するためのより大きな助けになっているように感じられる(ニキータ・ミハルコフ(注:2) )。

注1:映画監督アンドレイ・タルコフスキーの父、アルセーニイ・タルコフスキーは詩人である。
注2: 同じく映画監督ニキータ・ミハルコフの父、セルゲイ・ミハルコフは作家。
ロシア文学における、チェーホフとトゥルゲーネフ(注:3)に代表されるインテリ第三の路線は雑階級知識人である。先祖から受け継いだ奥深い文化的伝統もなく、いかなる財産も持たず、すべてをいわばゼロからはじめた人びと。過去についての長い記憶の欠如は、未来への信仰をも打ち砕く。すべてはあたかも1つの人生の長さの範囲内で起こっているかのようだ。過去と未来の断絶によって、独自の美学、独自の理想の感覚を持った独特の世界観が築かれる。わたしの観るところでは、雑階級性は世界的現象である。戦争、革命、移住によって、世界認識を持った人びとの流れは拡大してゆく。もしいま、このような区分が存在するならば、わたしは自分をこのグループに分類するだろう。
さらに、わたしは父がウクライナ人で、母がユダヤ人という自分の民族性から、強い内的緊張を感じていた。ソヴィエト連邦における激しい反ユダヤ主義を前にして、二重性の感覚が病的なまでに実感された。わたしは誰なのか?ユダヤ人?それともウクライナ人?選ぶことなど不可能であるのに、わたしは自分がいったい誰なのか、選択めいたことをしなければならず、また対立するものを常に1つに結びつけなければならないかのようだった。

注3:トゥルゲーネフの小説『父と子』(1862)で描かれているのが、いわゆる雑階級知識人の姿である。トゥルゲーネフ自身は裕福な地主で貴族。生涯の大部分を外国で暮らし、作家として、ロシア文学をはじめて本格的に西欧に紹介した。ここで言及されているのは社会的階級ではなく、芸術一家に生まれていないという意味での「雑階級性」である。
         
モンタージュ
わたしの「世界のヴィジョン」の概念は、宗教的なものと無神論的なものという、いわば2つのタイプの意識を含んでいる。宗教意識は、世界の全一的知覚に基づいている。全空間はいわば神によって満たされており、それによって立体知覚の説明がなされる。無神論的な意識は、決して満たされることのない知識によってのみ支えられている。そしてこの「不完全さ」こそが、ばらばらでモザイク状の世界絵図を与えるとでも言えるだろうか。わたしの世界認識は無神論的なものであり、したがって切れ切れのものである――わたしの写真のモンタージュはこれによって説明され得る。モンタージュをそれぞれの民族的属性の観点から比較してみると面白いかもしれない。
ドイツ風のモンタージュは、民族が比較的単一である社会に典型的なもので、1つの対象の変形させた複数部分の結合である(トーマス・フロルシュッツ)。アメリカ風のモンタージュは、たとえば車が人間の一部分、延長になるような(エドワード・キーンホルツ)、キマイラ的特長に基づいた異なる対象の結合、2つの対象の混合で、異文化を対置するのではなく同化させようとするアメリカ社会に似ている。
最後に『サンドイッチ』シリーズに代表されるソヴィエト風モンタージュであるが、これはソヴィエト社会の二元性や矛盾を反映する、対立する意味を持った要素の結合である。たとえば、ネオ・ラウホがあつかっているようなタイプの美は、それなりの平行性を持ったモンタージュであると考えるが、わたしの『昨日のサンドイッチ』にとても近いようである。

いま
ここ20年間独占的に君臨している現実に即した写真は、いまようやく、次第にその地位をあけわたしはじめている。新しいテーマや形式面の処理法もないままに映像の量が増え続けているせいで、こういうものに対する関心は鈍ってしまったかのようだ。それどころか、かつては圧倒的多数を占めていたテーマ――ホモセクシャル、荒廃、難民、貧困――が前ほどの興味を呼び起こさなくなっている。もしかすると、だからこそ『重ね合わせ』のシリーズのような過去の体系化された発見が、こんにち再び求められているのかもしれない。
新しい情報技術の出現によって、現実は真実の同義語であることをやめた。コンピューターで簡単に創り上げたり、修正を加えたりできるからである。現実を扱うタイプの映像への興味が失せてゆき、別のものに向かいはじめているのはそのためである。写真家はますますドットや歪み、ぼかしに頼るようになっている。たとえば、今回のヴェネツィア・ビエンナーレでトーマス・ルフが展示した携帯電話で撮影された大きな写真は、遠くから観ると建物や風景が見えるが、近づくとただ大きなピクセルだけが識別できるというものであった。わたしがこれを解釈するとしたら、現実と観る者のあいだにピクセルでできたフィルターが現れてくるのだということにでもなろう。わたしの『サンドイッチ』シリーズに関して言うと、このようなフィルターに相当するのは、2枚のスライドのうち、同じように画像を濁らせる役割を果たしている1枚である。このためにしばしば、あえてコンクリートやアスファルト、ガソリンのしみ、子供の落書き、テクスト、草、砂などを撮影した。それらはすべて、1枚目の映像を暗くし、様々な厚さの透明の色彩フィルターのような効果を得るのに役立つはずのものだった。
わたしの観るところでは、美学が現在こうむっている変化は、社会で起こっている変化と関連づけることができる。2001年9月11日以前と較べると、テロの脅威によって社会はより閉ざされたものになった。同時にプライバシーの意識が強まり、情報の範囲が狭まってきている。人びとはもはやあまりオープンではなくなり、街や公共空間での撮影、どこでも見かけるような子供たちの情景の撮影は難しくなった。店の中や空港といった公共空間で写真を撮ることはますます困難になっている。
わたしが『重ね合わせ』のシリーズをつくった60年代から70年代の状況を、こんにちの社会で起こっているプロセスと比較してみると、多くの共通点を見いだすことができる。こんにちの撮影規制はソヴィエト時代に存在した禁止事項を思い起こさせる(ただし、当時それは情報の断絶、情報の飢餓への移行であったのに対し、いまは情報の過剰への移行である)。しかし、当時もいまも、情報範囲の〈変化〉そのものがまさに美学における変化のための衝動であって、現実逃避の願望へと向かわせるものである。

最終結論と説明
同じような映像が写真には存在しなかったと言うことはできない。しかし、それらはほとんど白黒写真で、別の、より複雑な方法――二重露光というあらかじめ構想しておく必要のある方法によってつくられたものであった。提示された〈重ね合わせ方式〉は、わたしの考えではもっと簡単なものであり、その単純さによって芸術作品の創作を流れ作業にし、またそのことによって芸術のプロセスそのものの唯一無二性を疑念に〈処した〉のだと言えよう。『重ね合わせ』の〈流れ作業〉という考えは、どことなくウォーホルの〈ファクトリー〉の考えに似ている。
芸術的なものとは、普遍化を要求する、様々な時間と様々な空間からなる画像のことである。写真的なもの(瞬間的なもの)とは、時間と空間における存在の同時性のことである。わたしにとっての初歩的な〈芸術的〉映像とは、すくなくとも2枚の重なり合う初歩の写真的なものからできているもので、それゆえ〈重ね合わせ方式〉は芸術分析のツールともなり得る。
『重ね合わせ』が、奥深いもの、あるいは堅牢なものであるかどうかはとくに重要ではなく(その長所を規定するのはわたしの仕事ではない)、芸術の作品分析のためのもうひとつの方式が名乗りをあげたということが重要なのである。
対置(二重性)に基づいた『重ね合わせ』は、ソッツアートに先行していたのではないだろうか(絵画においては、ソッツアートの潮流を切り開いた芸術家たちが、80年代に写真とは無関係にこの原理を用いた)。
そしてもうひとつ。このシリーズは何についてのものであるか?わたしに言えそうなのは、60年代人の思考について、絵をつくる新しい方式について、そしてもしかしたら美しさについて…というようなことだ。しかし、さらに大袈裟なアナロジーを探してみるなら、「『重ね合わせ』とは、《2つの対立する政治システムの平和共存》に関する60年代の主要な政治スローガンの、芸術における反映である」というアレクサンドル・ラポポルトの言葉で答えることができよう。
対立するものの共存という考え方は、大きな緊張を前に、バランスを保つことが不可欠なこんにちにもアクチュアルなものであると思われる。だがひょっとしたら、こんなことはすべてさざ波のように不安定なものについての話かもしれない・・・

わたしのヴィタへ、夜になると、彼女のまわりをホタルが飛び交う・・・
(訳 永原耕治、上田洋子)
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