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1951 三重県に生まれる
ケルン、ベルリン在住
イケムラレイコ インタビュー
インタビュアー:風間大輔
1998年1月19日月曜日 東京にて
Q
イケムラさんは日本にいらっしゃるとき外国語を勉強していましたが、なぜアーティストになったのでしょうか? そのきっかけをスペインに渡ってそこで美術大学に学んだことにも触れながら教えて下さい。
A
人生の中には自分の決心だけで決まらないことがあると思います。「なぜアーティストになるのか?」という問いに答えるのは非常に難しいのですが....
ドイツ語で「ベルーフング」(Berufung) という言葉があるのですが、まあ日本語に訳すと「啓示」とでもいうのでしょうか。ある時そうした「啓示」ともいうべきものを経験したのが、今の道に進む上で大きかったと思います。今考えるとその前に色々と思い当たることとして、祖父が大工の棟梁をしており、物を設計すること、造ることが日常的であった環境であるとか、もちろん子供の頃は絵を描くことがとても好きだったし、でも決して一般的な意味で上手ではなかったし、回りに認められてもいませんでした。ただ、後年私が芸術に取り組むときに、頭が良いこと、技術的に器用なだけでは、良いものを生み出せないということをその頃から意識していました。
そして同時に、常に言葉、あるいは文学に対する興味が早くからあったと思います。ビジュアルなものをつくるということと、言葉というものは、非常に複雑な関係を持っていると思います。絵を描くことと同様、小さな頃から文学が好きで、他の子供達が児童小説を読んでいた頃からシェイクスピアとかジイドを読んでいた記憶があります。だからそれがもとで大阪外語大学に進んだのだと思います。スペイン語を学んだのは、その頃は皆がアメリカ一辺倒だったことに少々反発する気持ちと、ヨーロッパ、中でも地中海に憧れていたことが大きかったと思います。それと政治的な背景も少しはあったのではないでしょうか。時代的には日本の学生運動が盛んだった最後の頃だったので、その影響を無意識に受けていたのかもしれませんが南米にも興味を持っておりました。
なぜ地中海に憧れを持ったかと言えば、その頃サルトルとカミュに傾倒していて、特にカミュの世界に強く魅かれていたからです。世間ではカミュを評して「不条理」とか言うけれど、私は彼の魅力は「官能性」にこそあると思います。その中でも地中海を謳い上げるといったところに代表されているんじゃないかと。サルトルの実存主義は私の青春を決めた哲学だけれど、実際に行動に移す(=スペインに渡る)という部分で大きく影響を受けたのはカミュだったと思います。今考えると、カミュにおける地中海は日本の大和美みたいなものにも通じていると思います。
それとスペイン語の発音は案外日本人にも合っていると思うし、もちろん異なる部分も多いけれど、他にも非常に共通している感覚的な部分も多いのではないかしら。世界的な言葉という視点で考えたときにも、英語の独占性に対して引けを取らないインターナショナル性も備えています。南米はアジアやアフリカと同様にまだ発展途上ではあるけれど、爆発的な力を秘めているし、実際そうした兆候もあります。
私は一般的な意味で外国に憧れていたわけではありません。違う言語を学び、修得することは、日本文化からの一種の脱出だと思います。その中でいわばひとつの生まれ変わりがあって、それは色々なしがらみから解き放たれるだけではなく、今にして思えば、私にとってそれが「啓示」につながるプロセスだったような気がします。その頃は物事を理解していたというより、反応していたような時代だったと思います。
Q
現在はドイツを活動の拠点になさっていますが、以前に住んでいらしたスペイン、スイス、そしてまた日本と比べて、そこで生活し、制作するうえで地域や国が作品に影響を及ぼすことはありますか?
A
非常に影響しています。日本にいた頃の私はまだ可能性をはらんだ種みたいなものでしたが、アーティストとしての制作活動を行ったスペイン、スイス、ドイツでは各々言葉や風土等が醸すものがあり、そうしたものにどっぷりと浸ることで作品自体も変化していきます。変わらない何かももちろんあるけれど、風土とか精神性の違いが持つ影響が小さくないことは、私のつくったものの流れを見ればよくわかるのではないでしょうか。
Q
前の質問にも関連しますが、日本人としてのアイデンティティーみたいなものが影響することはありますか。
A
あるとは思うけれど自分ではあまり意識していないし、意識したくないというところもあります。そういうものから自由でありたいし、その上で自分の中に個を越えた長い記憶が自然に発露してほしいと思っています。自然にということは、培われてきたものが必然性を持って出てくることであり、意図して出来ることではないし、例えば本来持っている日本的なものが「他」に接したところで何かが展開してくるのだと思います。文化的アイデンティティーというようなものはそれ程単純ではなく、いろいろの影響のもとで淘汰されて発展する人格のようなものでしょう。だからそれは様々な文化的要素を混合して割ったもようなものではなく、どちらかというと波に洗われながらある日海の底から現れてくるような堅いもの、とでも表現できるでしょうか・・・
Q
当初平面作品から出発したイケムラさんの制作活動は、80年代中頃からクレイワークによる立体が並行して現れてきます。立体作品を手掛けるようになった契機について教えて下さい。また、作品の表現形態を決定されるときには何を基準に選択しているのでしょうか?
A
アーティストとしての出発というか、自分としての決心みたいなものは、'79年に描いたアクリル・オン・ペーパーの作品を出発点としています。そこから始まってワークス・オン・ペーパーに加えキャンバスの作品を描いていくようになり、80年代は特に平面に力を入れて制作してきましたが、87年頃精神的にも技術的にも絵画を描けない状態になったのです。80年代前半の美術界のあり方に対する不信と、それについで自分がしてきた仕事に対しても疑問を持ち始め、白紙状態につき戻されたような非常に苦しい状態でした。80年代初期の作品は物語性に富み、技術的には線的なものを中心に画面を構成していたのですが、'86年頃には自分の中からほとばしるように出ていた物語を絵画にするということ自体が、絵画の持っている絵画自身の問題について問い始めたときに、むしろ障害になってしまったということです。つまり、その頃は言葉と絵画の関係において初めに言葉があったのですが、絵の自立性を問い始めたときに、そこから言葉を取ってしまったら一体何が残るのか、ということに対して存在の不思議というようなものを根源的に問い直してみたかったのです。そうしたときに自然発生的に始まったのが立体作品の制作でした。
スペインにいたときも好きで立体作品を作ってはいたけれど、そうしたものはまだまだ習う段階のもので、自分で表現するところまでは至っていなかったと思います。だから当時の危機によってテラコッタから立体作品の制作が始まったと言えます。
Q
立体作品をつくるようになったきっかけについては良くわかりました。それでは平面、立体といった表現形態を選択するときの基準についてはいかがですか。
A
私にとって平面と立体の区別というより、両方が流れ出していくといった感覚です。私の立体作品の中には色彩など非常に絵画的要素の強い作品もありますし、平面と立体の両方が影響し合う部分がかなりあると思います。
絵画と立体だけでなく、公に発表してはいませんが写真、あるいは写真に含まれるかもしれませんがケミグラフという化学薬品を使った一種のドローイングのようなものについてもそうです。それに初期から私の制作活動において重要な役割を担ってきたドローイングを加え、その四つの形態の中で、物事がお互いに反応し合い成り立っています。絵の中から出てくる絵というよりも、そういう関係の中から生まれてくるものが私の作品ではないかしら。
例えばテーマというものは私の生活と非常に強く結びついていて、80年代のスイスにいた頃の作品は全てひとつの共通性を持っており、そのときのエポックを表しています。つまり同時期に制作された作品には、何をとっても、あるいは表現形態が異なっても共通のテーマみたいなものがあります。
テーマだけではなく、芸術上のフォーマルな点でも自分なりに探索し続けているつもりです。例えば絵の空間の処理の仕方であるとか線と面の関係といったことについても、根源的本能的な問題と同様に深究しています。その両方を問い続けていき、それが組み合わされていくことが重要なのであり、表現形態を何にするかということはあまり重要なことではありません。言ってみればある期間において、すべてに同じ問題を交互に問い合わせながらつくっているわけです。
Q
立体について伺いましたので、今度は平面について伺いたいのですが。昨今世界的にインスタレーションという手法を用いた作品が多く見受けられます。同時に「絵画は死んだ」とか逆に「絵画の復権」といったような絵画を巡る論争も活発です。このような時代に、あえて絵画に取り組むイケムラさんの絵画観について伺いたいのですが。
A
私にだってインスタレーションに対する誘惑は大きいですよ。それに常々空間に緊張感を与える展覧会ということについて考えてもいますし。実際今までに三回その試みと言える展示をしています。インスタレーションという言葉には大きく言ってふたつの意味があります。芸術の一表現形態を表す場合と、もうひとつは何かを整理して、物の置き場所を考えたり装飾したりするといった意味です。インスタレーションというのは、ある種デザイン的な感覚だと思います。それに空間の処理の問題ばかりに必死になって、どうしたら観客を捉えられるかということに走り過ぎているという批判的な見方もあります。
一般に私は体制とも呼べるような芸術における形態や処理の仕方、あるいは生き方に対し疑問を感じます。もちろん時代の流れとして良しとする部分はあるし、中には本当に素晴らしい作品もあります。何につけてもそうだけれどメインストリームというのはつまらない。だからこそたとえ絵画がメインストリームになってもおかしいでしょう。ただジャンルだけで決めるべきものではないと思います。  「絵画は死んだ」とか「絵画の復権」というのは一種のファッションであり、そういうことをアート界の人間が平気で言うこと自体に強い疑問を覚えます。絵画というのは人間の欲求であって、それは昔から続く非常に根源的なものだと思うし、またそうしたものをつくり出すことへの欲求というものは、時代が変わっても変わらないんじゃないかしら。絵画それ自体を云々するよりも、その今日性ということを現代という時代の中でどう考えどう表現していくか、ということの方が問題になるべきだと思います。
Q
イケムラさんの平面作品は、その制作時期によりタッチやマチエール等に大きな変化が見られます。そうした変化と、逆にその根底にある変化しないコンセプトとか芯の部分についてあわせて伺いたいのですが。
A
問い続けることは苦しいけれど、重要であり必要なことです。私は作風が決まったからといって、それを一生続けようとは思わないし、むしろそうしたことに対して本能的な警戒心すら持っています。
私にとってアートはつくるものであっても、製造するものであってはいけない。プロダクツであってはいけないのです。だから一つのパターンが決まってしまったり様式化されると死んでしまうでしょう。様式的に完成する以前に変化することがある意味で必要なのです。もちろんただ変化すればよいというものではありませんが、一方では繰り返しの必要性を認めながらもその中で変化を求める力があります。私は芸術に対して何らかの解決を求めているわけではありませんが、人間にとって、あるいは生きとし生けるものにとって重要で根源的なものについて、芸術を通していつも問い続けていきたいと思っています。だからその動力は常に生き生きとしたものでなくてはいけないわけです。常に何かが変換しつつある、そうしたずれの中から次の問いが生まれてきて、そして生活との交わりの中で自然に新しい何かが出てくるのだと思います。だからこそ私の作品は私の精神と生活の記録でもあるのです。
Q
もう少し年代を追って、各々の作風というかタッチの変化みたいなものについて具体的に言及していただけますか。
A
ある期間の生活や人生観の全てを含めた雰囲気、その雰囲気に忠実であればあるほど作風は変化します。80年代後期から90年代初期の油彩画は非常にサイズの小さな作品ばかりでした。一方で80年代初期の作品は大きくて、ある種身体的でもあります。なぜならその頃の私は身体という媒体を重視しており、キャンバス自体を一つのボディとして捉えていたからです。まるでダンスでもするように。若かったせいか精神性よりもどちらかといえば肉体を重視していました。
私の作品は常にエロスと関わっており、それは肉体を通じてのエロスと精神的なエロスの交わりにあります。80年代初期の作品に関して言えば、身体性と同様、無意識の力というものも重要視していました。ある形を語りながらも同時に意識の根底を追求していたのです。その語りの流動性が'87年頃の危機の訪れによってもっと根元的なもの、核心的なものに変わってあいったと言えます。それまでは絵画を構成している要素をバラバラにして捉え、また再構築していくといったような、非常に野心の強い、全ての要素を破壊しながら同時に組み合わせていくような、あまりにも複雑なやり方でアプローチしていたわけです。そういった野心を徐々に破棄していった先には一体何が残っているのかというところで描いていったのが、80年代後期から90年代初期の小さな油彩作品です。その頃の作品は、本当に自分あるいは人間の魂が必死に求めるものは何か、何が大切なのか、ということだけを考えて描いていました。生命という永い永い記憶をくぐり抜け、もう一度底の方から生まれかわるというか、あたかも初めてのように誕生するということがモチーフであり絵画の行為でもありました。そういった大切なものに行き着くプロセスの痕跡がキャンバスに開けた穴や引っかき傷として残っているのです。
Q
以前から詩あるいは歌のようなものをカタログ等に発表されていますが、ヴィジュアル・アーティストのイケムラさんが文字による表現を試みられていることについて、また平面、立体等の作品との関係について教えて下さい。
A
私にとってはすべてが詩であってほしいと思っています。だから平面作品にしろ立体作品にしろ何にしろ、魂を謳い上げるものであってほしい。そこにはもちろん言葉も入っています。ただその場合の言葉の処理の仕方というか、使い方については、論理的、慣習的、伝統的な交換としての意味を持つものではありません。そういったことを全てはずした部分で、自分の心の歌の一環として生み出されるものだからです。論理や自分の芸術の根拠としてだけ言葉を使いたくないし、まして自分の芸術を決め込むため、あるいはプロテクトするために言葉を使いたくないのです。あくまで心の中にある歌の一環として考えています。どちらかというとデッサンに近く、決して完成しないものだし、完成させたくないものです。
Q
ヴィジュアルな表現と異なり、言葉を使用した表現の場合、論理的な使い方でなくとも、使用する言語によって、また他の言語に翻訳することによって、観者に微妙な差異やズレを与えるような気がするのですが。
A
もちろんそういうことはあると思います。私は現在日本語、独語、英語、スペイン語の4カ国語を操りながらも、どの言語に関する習熟度も完全ではないという極めて中途半端な状態にあります。言ってみれば一種のハンディキャップを背負って生活しているようなものです。例えばドイツ語にしても、ドイツで生活していて普通の日常的な会話で困ることは全くないけれど、決して完全ではない、一般的な言葉の使い方をしていない、何かがあるいはどこかがずれていると感じるときがままあります。こうして日本語で話をしていても、どこかでずれていたり間違った言葉の使い方をしているのでは、と疑いながら話しているわけです。だから自分の中では言葉に対する全面的な信用なんてものはないんです。そうした不安の中で自分の表現したいことや言いたいことを暗中模索しています。言ってみれば暗闇の中を手探りで輪郭を捜しているようなものです。
Q
小さな頃から文学に親しみ少なからずその影響を受けているイケムラさんが、言葉による表現ではなく、ヴィジュアル・アートを結果的に選ばれたのは、今おっしゃったような言葉に対する不信があったからでしょうか。
A
そうかもしれないけれど、そうとも言い切れないと思います。私達の感覚においては物を見るということは目で見ることだと思っているけれど、実際には目で見ると同時に耳で聞いたり口で味わったりすることによって、総体で見ていることが多いと思います。感覚におけるバランスというものはいつもどこか崩れていて、それを他の感覚で補い合っているようなところがあります。
だから私にとって、見ることへの不信は言葉に対するそれと同じ位強いわけです。ジャコメッティがどうしてあの様な絵画を描いたり彫刻をつくったのかと言えば、それは彼が見たものを彼なりに、ある意味で忠実に表そうとした結果であって、彼の作品からは「本当に見る」こととはどういうことなのか、という問題について考えさせられます。よく心象風景とか言うけれど、本当の心象風景というものは目を閉じて心の中で見る風景とは違うでしょう。「本当に見る」力があれば目を開けていても、全てのものが出現している様を見ることが出来るのだと思います。だからこそ見ることに対する不思議を、言葉に対するそれと同様に感じ、考えるわけです。世の中で当たり前と思われていることは、その全てが実は驚くべきことかもわからない。例えば今私達が座っているこの椅子について後で思い出そうとしてもその形を思い出せなかったり非常に曖昧だったりしますし、椅子というその対象を表す言葉から離れたときには一体どのような存在であるのか、という不思議があります。目で見ていると思いながら実は観念で見ている場合が多いんじゃないかと。私はそうしたなかで「物を見る」とはどういうことかという問題を常に考えています。
「本当に見る」ということが出来るためには、その対象を一度常識や意識から遮断し、同時に言葉との間にある非常に複雑な関係を断ち切り、一旦無意識の中に深く深く入っていき、そこからまた意識的なものに戻って来る、というプロセスが必要だと思います。これはある種ヨガの考え方とも似ています。ヨガの言葉に「山は山である」、そして「山は山ではない」、そしてまた「山は山である」というのがあって、この考え方は私達が「見る」と言っていることと非常に深く関係していると思います。決まった形というものなんかなくて、掴まえられるものなんて何もない。つまり、見えていると思っているものは、いわゆる幻影であり影でしかない。しかし、全てのものが変換しつつありながら実体はやはりどこかにある、この矛盾のようなことが矛盾でなくなる瞬間「視る」ことが可能なのでしょう。そこにおいて初めて世界が対象でなくなるでしょう。
Q
近作の水彩によるドローイングや釉薬を用いた立体作品について伺いたいのですが。ドローイングの滲みや垂れ、立体作品の窯入れ後の釉薬の変化は、アーティストにとって完璧にコントロールすることが不可能な領域だと思います。こうした最後の仕上げとも言うべき大事な部分を「天の采配」に任せることについてどう考えていらっしゃいますか。
A
そういう自分でコントロール不可能なことを取り入れること自体が、私にとって重要な創造の基礎です。現代アートは今あまりにも戦略的な方向に進んでいると思うし、だからこそ、そうでないものがとても必要だと思います。自分の中に本当に深く入っていくことが出来れば、自己と他者に共通する一種の原形みたいなものを見つけ出せるのではないでしょうか。今は各々が個の考えや時間というものに強く囚われすぎているけれども、実際自分が火傷をしない程度にしか自己とかかわらないというスマートさがあります。でもそれでは魂の問題にぶつかることは出来ないでしょう。国家や時間、あるいは個というものを越えていくには、もっと自己の最も暗い部分にまで降りていく勇気が必要じゃないでしょうか。
 そこにおいて初めて「忘我の境地」にたどり着くのでしょう。自分というものを一旦忘れないと本当に良いものは出て来ないと思うし、芸術とは言ってみれば、自分であることとそこから忘我へ脱出することとの闘いにあるのだと思います。我を強く持っているうちは出て来ないものがあって、それは私の尊敬する作家の作品にも明らかに見てとれます。ジオットであれ、北斎であれ、技術や知識を踏まえながらも驕りのない敬虔さが彼らの真の尊さだと思います。「ものをつくる」ということには自分だけでつくり出しているのではないというところがあります。「私」はただの媒介であって、「忘我」を通じて他の知識や過去の知識が創造のエネルギーとして沸々と湧いてくるのです。「ものをつくる」ということは、自分一人になる、自分一人で行うという大変豊かで孤独な作業である反面、自分の中からだけでなく他との人間関係の中から生み出される部分も非常に大きいと思います。
Q
そうしたことの試みの一環として制作プロセスの中にイケムラさん自身が完全にコントロールし得ない領域を設けているのでしょうか。
A
繰り返しになりますが完全にコントロール出来ないということは重要だと思います。それから逆に言えば自分にとって一番難しいのはペインティングだと思います。なぜなら自分が意図していることが最もダイレクトな形で見えるのがペインティングであるし、アーティストの手によって完全にコントロール可能な領域が他の手法より大きいからです。水彩による制作の場合は、水と顔料そして時間の作り出す部分が、自分が「ものをつくる」という意志と同じ位の強さで重なったときに生まれるわけです。写真にしても同様で、目に見えない所で薬品による化学変化が起こっているし、立体の場合は粘土が固まっていくときに起こる変化や縮小、火の中からしか現れてこない釉薬の発色等をあげることが出来ます。それらは私が完全にコントロールすることは不可能な領域です。しかしこうしたものは決して偶然ではなく、何処かからくる必然の力であり、それが創作における意志と同時に、しかも同等に交わることによって、非常に豊かなものを生み出すのだと考えています。
Q
それは偶然ではなく必然なのでしょうか?
A
そう思います。最も必然的なものと言ってよいと思います。なぜなら私あるいは私達にとって最も必要なものしか現れないと思うからです。だから決して偶然ではないわけです。
Q
今回の佐谷画廊での個展「Black Noon」について、そのタイトルと出品作品について教えて下さい。
A
まず最初にタイトルがあって作品があったわけではないし、タイトルがあって展覧会があったのでもありません。私にとっては言葉とビジュアルな部分の持つ緊張感、あるいはもっと言うと、その緊張関係が崩れたところで現れてくる両者の関連性が重要であると考えています。だからその関連性が現れる場を持ちたいということから展覧会をするのだと思います。
 「Black Noon 」というタイトルに関しては言葉自体の持つおもしろさ、つまり「黒い昼って何だろう」という、ある種想像を裏切るようなイメージが好きで今回の展覧会タイトルにしました。それと同時に最近気になっている「黒」という色の持つ性格や魅力を強調したかったということもあります。色というのは絵画を構成している要素の中で非常に大きな部分を占めているので、制作中は自分なりに考えを巡らし、苦労もしています。黒という色は非常に魅力的な性格を持っていて、例えばマティスの黒とかマネの黒など昔からいろいろと言われています。またあるところでは黒という色がタブーの象徴だったり、技術論においては、他の色を汚すからみだりに使用してはならない、とか様々な捉えられ方をしてきました。そういうある種の負の性質を踏まえた上で、黒を全面的に肯定し、更に黒との関係の中で輝き出す他の色に対する効果のようなものについても考えてみたかったということもあります。他の色彩のいわゆるバイブレーションが外に向かうのに対し、黒は我々を吸い込んでいくような不思議な空間です。例えば黒く塗ったキャンバスの端に差した黄色がとても映えるとか、点の様に小さな赤が黒の画面の中にあって炎のように光り出すとか、何かを出現させたり、消失させたりすることが可能な黒の持つ力を同時に強調したかったのです。
Q
それではタイトルを決め、沢山の候補作品の中から出品作を選択するときに、今おっしゃった黒という色の持つ性質、効果等と関連した作品を選ばれたのでしょうか。
A
そうですね。でもそれだけではありません。例えば立体作品が豊かな色彩を持ち存在を強く主張するものであれば、ペインティングは反対に非存在というか、非物質的なものを強調するという風に、出品作品同士の補完関係についても考えています。ただ表現形態というかジャンルが重要なのではなく、作品同士の補助性や緊張関係が私にとって大切です。
Q
先程インスタレーションについての話を伺いましたが、作家自らが展覧会の展示に携わるということは、表現形態としてのインスタレーションとは異なりますが、空間に対する考え方という意味では共通している部分もあると思います。空間あるいは展示についてイケムラさんの考えを聞かせてください。
A
そういう意味でのインスタレーション、つまり展示空間をどう構成していくかということについては、とても重要なことだと認識しています。空間との交わりの中で、作品が「場を決める」ということに自ら携われるのがとても好きです。自分の作品ばかりでなく、私は学校で教えてもいるけれど、学生達の作品について彼らと一緒に空間の中で場を決めていくことにしても同様です。その場合、決して偶然ではない必然まで持っていく力みたいなものがあって、その力に従っていくことによって決まっていく経過です。  今回の展覧会でも同様に、最初はドイツで展示プランの図面を見ながら考えていたけれど、実際に空間の中に三日間身を置き、しかも私一人だけではなく佐谷周吾さんと一緒に考え、掛けたり外したりしていくなかから必然性みたいなものが出て来ました。一回かぎりでも展示を行う時間と空間において作品、視る人々を含めて精神的場を与えそうした時に携わる楽しさがあります。と同時に「場を決める」ことは重要なことではあるけれど目的ではなく、やはり作品は作品として最終的には自立して生きのびてほしいですね。かといってすべての作品についてその後のことまで、極端に言えば100年後のことまで考えているわけではありません。それが生きる価値のあるものならば生き延びると思うし、生き残っていくでしょう。ですから他方で作品に対してそうした突き放したようなところも持っているし、それも同じくらい大切なことだと思います。だから手法としてのインスタレーションの持つ自由さと弱味は、作家がいないとコンディションを保つのが難しいこと、空間が変われば意味も変わってしまうかもしれないという問題があります。
Q
出品作品についても伺いたいのですが、ペインティングのほとんどの作品に共通する画面上の筋のようなものは何を意味しているのでしょう。
A
あれは人間にとっての地平線みたいなものだと思います。私達が立っていられるのは重力があり重心があるからで、それは同時に地平線を意識することにつながっていると思います。物を置くことにしても同様で、そこに地平線があるから置けるわけです。そうした考え方というか要素が、私の制作の中で90年代に入ってから強くなってきています。私はフォーマリストではないので単なる形式や手法よりそこにある意味が重要なのです。私達はいつも目に見えない地平線を持って動いており、それは風景というものにつながっているのだと思います。
 私は風景らしきものを描かないので、自律性のある絵画の上での風景をどう表現していくかという問題について常に思いを巡らせています。だからと言って色彩だけでそうした空間を表現するかといえば、それはフォーマルになり過ぎます。画面の中に現れる地平線、それは台のようであったり道であったりするのかもしれません。それは見えない場合もあるし、消えかかっている場合もあるかもしれません。その地平線のなかで少女的幻影がゆっくりと回転していき、それが空間全体の中に非常に静かな動きを発想させます。「ものをつくる」場合は常に、技術的なことやフォーマルなことが先行してはいけないと思っています。詩的感覚に従いながらフォーマルな問題に取り組んでいるつもりです。
Q
制作上何かインスパイアされたりアーティストとして影響を受けたといったことではなく、好きな作家、作品があれば教えて下さい。ひとりの愛好家として壁に掛けたい、といった視点で語っていただれば幸いです。
A
実は今回の日本滞在中に骨董市で室町時代の信楽の大きな壺を買いました。これを芸術作品かどうかと問われれば、私はそうだと答えるでしょう。モランディの静物画はお金があったら是非持ちたいと思っているけれども、それと同格に室町時代の無名の陶工の作った壺が好きだし大切です。作家の有名無名は関係なく、自分の目を信じて、確立されたものより発見していくことのほうがずっと面白いと思います。
どちらかというと私はへそ曲がりな方なので、みんなが良いと言うと逆に疑ったりしてしまいます。でもそうした中にも本当に良いものはあるので、最近は少し気をつけたほうがよいと反省しています。私はものが持っているアウラに敏感でありたいと思うし、精神性を持っているものには作者の有名無名は全く関係ないと思っています。もちろん何か一つのことに人生と心を捧げた人の作品にはそれが現れていて非常に尊いものです。例えば高村智恵子の切り絵は素晴らしい。手にして見てみたいし、いつか一緒に展覧会を出来ればと望んでいます。
私にとっては出会いが重要で、これは人間についても物についても変わりません。物あるいは作品自体を持ちたいということよりは、むしろそれらに守られて生活したいという欲求があるのだと思います。
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