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1933 ドニエプロペトロフクに生まれる
ニューヨーク在住
空の飛び方
〜1999年日本でのイリヤ・カバコフの活動をふりかえる〜
鴻野わか菜 (こうの・わかな 千葉大学文学部)
 ウクライナ出身の芸術家イリヤ・カバコフの作品は、空飛ぶもので満ちている。鳥、飛行機、天使、ハエ、《自分のアパートから宇宙に飛びだした男》(1986)などなど。70年代モスクワで、非公認芸術家だったカバコフが、自分のアトリエで親しい友人(主にモスクワ・コンセプチュアリズム・サークルの仲間たち)だけに見せていた紙芝居形式の連作アルバム《十の人物》の《空飛ぶコマロフ》(1970-74)も、空中で暮らす人々の物語である。かれらは明け方の空にどこからともなく現れ、空中を散歩し、鳥の橇で遊んだかと思うと、「地上にいた時とまったく同じように」友達を招いて「お客さんごっこ」を楽しみ、夕暮れ時になると地上をめざして還っていく。かれらは、死んでなお地上での生活を忘れられない死者たちの魂だという。かれらが漂う空は、そこはかとなく白い。自伝的作品《わが人生の舟》(1993)によれば、カバコフは69年冬、「白いもの」すなわち「現実のむこう側の神秘の世界」との形而上的な出会いを体験して以来、一貫して〈白〉のテーマにとりくんでいるという。そしてカバコフは、日本におけるカバコフ元年ともいうべき1999年、この〈白〉い光を日本中にふりまいて飛び去っていった。
 「下を見ている人はどうしたら空が見えるでしょうか?」――99年3月、名古屋市白川公園に設置されたカバコフの《彼らはのぞきこんでいる》は、見る人にこんな問いを投げかける。6.5×9.0mの陶版で、白川公園のタイルの一部として埋めこまれたこの作品の元になった絵は、先述の《十の人物》所収の《装飾師マルィギン》である。それはこんな物語だ(しばしば作品に自作のテクストを織りこむカバコフは、時に珠玉の短編ともいうべき幻想的な物語を生みだす)――小役人マルィギンは、国の監査委員会で働いていましたが、むやみに会議が多いので、眠け覚ましに会議の資料全部に落書きをしていました。すると資料の余白やすみっこに描くのに慣れてしまったので、いざ白紙を前にしても端や隅に描くほうが具合がよくて、どうしてもまん中には描けません・・・・・・ この物語にそえられるのは、マルィギンが描いたと思われる、まん中が白いままの、いわばからっぽの額縁のような絵であり、白川公園に設置された《彼らはのぞきこんでいる》も、大部分が白地で、周辺部だけに子供たちの後頭部がぐるりと描かれた作品である。だからかれらはまるで白い井戸をのぞきこんでいるような格好になる。《彼らはのぞきこんでいる》には、マルィギンとはまた別の物語がそえられている。

 大きな画面には、柵ごしに体をおりまげて下のほうを興味津々のぞきこんでいる人たちが描かれています。わたしたちはかれらの後姿を見ているわけです。この人たちが四方に位置しているところをみると、どうやら深い井戸でものぞきこんでいるようです。なかはまっ暗やみにちがいありません。ところがかれらがじっと見いっているのは〈白〉なのです。でもこの「白い」完全な明るさは下ではなくて上のほう、つまり空にしかないはずです。このパラドックスはなんだか、こういう絵を見る人に向けたなぞなぞみたいです――「下を見ている人はどうしたら空が見えるでしょうか?」。こうした絵の謎を解くことは、禅宗の師が弟子たちを突然の閃き、つまり「悟り」に導くための公案に答えるのと同じ意味を持っているのです。

 1999年3月26日に名古屋市美術館で行われたカバコフの記念講演によれば、これは見る人を日常から解きはなち、深い瞑想に誘うマンダラのような作品なのだという。同年8月7日〜11月3日まで水戸芸術館で開催された「イリヤ・カバコフ展 シャルル・ローゼンタールの人生と創造」も、多くの謎が醸成される空間だった――カバコフはなぜシャルル・ローゼンタールという架空の画家の美術展を創ったのか、ローゼンタールの作品における〈白〉とはなにか、空白に満ちた彼の絵は完成しているのか・・・・・・ そのひとつのヒントとなるのが、カバコフ自身がオープニング・レクチャーで語った銀閣寺にまつわるエピソードだ。カバコフは2年前に来日した際、友人に「これから「銀の宮殿の寺」に行くよ」といわれて銀閣寺に案内されたという。しかし、実際に建物を前にしてどんなに頭をひねっても、銀の宮殿は現れなかった。すると友人はこう説明した――実は、この宮殿を建てたお殿様は、本当に銀の宮殿を建てたかったんだ。 しかし残念ながら、その人には 銀の宮殿を建てるほどのお金がなかった。けれど、結果としては銀の宮殿は建てられなかったけれども、歴史は、建てたいという彼の希望、意図、それだけは実際に残したんだよと。
 このエピソードはいうまでもなく、カバコフのインスタレーション《計画宮殿》(1998)を彷彿とさせる。《計画宮殿》は、過去や現在の様々なプロジェクト、成功、挫折、実現したかにかかわらずあらゆるプロジェクトを保存する博物館として構想された作品である。絵も文もすべてカバコフの創作だが、旧ソ連の色々な都市に住む様々な人々の意見を集めたという再話の形式をとっており、この作品のコンセプトは記憶の保存であるといえるだろう。《計画宮殿》に保存された個々のプロジェクト自体も、子供の頃好きだった絵本の切抜きをながめて幼年時代に回帰するプロジェクト《幸福への回帰》※1、ゴミを大切にとっておく《過去との出会い》など、記憶の問題に貫かれている。そしてこの記憶の問題こそ、ローゼンタール展や《彼らはのぞきこんでいる》にも流れる通奏低音ではないだろうか。
 なぜカバコフにおける記憶という問題に興味をもったか、それは名づけの問題から始まった。カバコフの作品では、必ずといってよいほど、おびただしい固有名詞が用いられる。たとえば、70年代のカバコフのパフォーマンスを再現する興味深い夕べ※2で朗読された《十の人物》所収のアルバム《クローゼットのプリマコフ》では、1度しか登場しない脇役やペットも含めて、名前の記されない登場人物はいない※3。物語は、幼いころからクローゼットに閉じこもりがちな少年を中心に展開され、どこか『箱男』めいているのだが、安部公房の小説がどこまでも匿名性をめざすのに対して、カバコフのテクストには人名・地名を問わず固有名詞があふれている。この特徴は、カバコフの母親の回想録をもとに制作されたインスタレーション《母のアルバム》(1988)にも現れる。各ページとも同じ構成で、上半分に、ソ連政府が発行した共産主義の宣伝雑誌の切り抜きが、下半分にカバコフの母親の手記のタイプ原稿が貼られている。宣伝記事は写真つきで、美しい公園や近代的な工場、豊作の麦畑などの写真の下に、豊かな社会を描写するコメントがついている。それにひきかえカバコフの母親の手記で描かれるのは、食べる物も住む所もなく、故障して使われなくなった学校の「トイレ」で暮らしたこともあるという悲惨な生活である。どちらの物語にも固有名詞がくりかえし出てくるが、両者の意味はむろんかけ離れている――ソヴィエト社会主義とりわけスターリンによる独裁権力は、粛清を通じて多くの人の名前や生活を奪った上で、社会主義システムの優位性をプロパガンダするために、一部の傑出した人物の名前を拾いあげたが、カバコフの場合は取捨選択せず、つまりヒエラルキーを設けず、無条件に名前を呼ぶ姿勢を貫いている。
 この姿勢は、《十の人物》所収のアルバム《解き放たれたガブリロフ》にも現れる。そこでは、登場人物たちが、まるで生存を確認しあうためだけに延々と名前を呼びあうが、やがて応答はとだえ、呼び声だけがむなしく響きわたる・・・・・・ローゼンタールのインスタレーション《三人の騎士》(1999)のテクストで、カバコフはこう述べている。

 心はさまざまなかたちで自分の肉体に報せを伝えるが、肉体には聴覚がないのでそれが聞こえない。しかしこれらの呼びかけ、呼ぶ声はいつの日か聞きとられるはずだ――。これがわたしたちがここへきた理由だ。

 あらゆる呼びかけはむだになるべきではなく、かならず答えられなくてはならない――このテーゼはカバコフの全作品の中で執拗にくりかえされる。多年にわたってカバコフの作品を意欲的に紹介してきた佐谷画廊での個展(1999年3月24日〜4月17日)で展示された《これはだれの翼?》も、登場人物が交わしあう言葉だけが画面に浮遊する作品であるし、絵画《かれらはどこ?》(1970-71)では、巨大な白い画面の左端に「エフィム・ボリーソヴィチ・テオドロフスキーはどこ? インノケンチー・ボリーソヴィチ・ライスキーはどこ?・・・・・・」という27の文章だけが記される。しかし、27の切実な呼びかけにどれひとつ答はなく、答があるべき場所には完全に白い空間が広がっているだけだ。〈白〉はカバコフの作品において概して死のイメージを帯びているので、27人という不自然に多すぎる死者の数とこの白い空間は、この場合、収容所群島を隠したシベリアの凍土のイメージにも重なってくる。しかし、アルバム《数学者ゴルスキー》(《十の人物》所収)でも語られるように、カバコフの作品において〈白〉は単なる死の空間ではなく、潜在的なもうひとつの世界でもある。たとえばそこから天使が舞い降りてくるような(アルバム《窓の外を眺めるアルヒーポフ》(《十の人物》)。あるいは、死者たちの魂に姿を借りた人間の記憶が住みつづけるような(《空飛ぶコマロフ》)。夜になると地上へ還る死者の魂は、カバコフも特別な関心を寄せるロシアの作家アンドレイ・プラトーノフの小説における、地上の人々が眠りにおいて死者と一体化し、死者を呼び戻す場面を思わせる※4。このアルバムで読みとることができるのは、生者が死者を追憶する行為によってのみ白い世界との交信が可能になり、さながらタルコフスキーの映画のソラリスの海のように死者を呼び戻すことができるという思想なのかもしれない(カバコフは『惑星ソラリス』について小文を書いたことがある)。〈白〉は、宇宙の記憶を司る天使の色であると同時に、潜在的な記憶の座としての脳の色でもある。
 97年のインスタレーション《記憶療法》も、記憶の重要性をテーマにした作品である。ロシアの病院を再現したこの作品(病院を、社会、ロシア、世界の比喩として用いたチェーホフなどのロシア文学史を想起したい)では、各個室にベッドが置かれ、白い壁に患者の個人史がスライドで映しだされる。見舞いに来る家族も友人もいない孤独な老人患者が、自分のスライドを見て記憶をとり戻し、人間として再生をはたすという物語である。さらに《十の人物》所収のアルバム《道化師ゴロホフ》では、以下の手法で過去と現在の強い結びつきが提示される。このアルバムではページをめくるごとに年代がさかのぼっていくのだが、どのページにも小さい穴が開けられており、そこから次ページの絵の一部(主に人間の顔)が見える仕掛けになっている。たとえば1843年のロシア貴族の令嬢の顔は、次ページの1686年のフランスの劇場にいる観客の顔でもある。その仕掛けは最後のページまで続き、最後は「古代の未知の時代」――おそらく宇宙が生まれるずっと前――を表す白いページで終わる。このアルバムについて、カバコフは次のように書いている――これは「完全に現実の存在でありながら別の時代に属している、つまり一部が未来に属していながら他の部分が過去に属している人間」についての作品である。すなわち、人間は過去なしに存在しえないと述べているわけだが、この場合、過去とはすなわち記憶をも指していることは、これらの絵に出てくる図書館、神殿、劇場が裏づけているといえる。図書館はもちろん劇場や神殿は、中世、ルネッサンスを通じて記憶術の場だった。というのも、記憶術を研究した思想家たちを支配していたのは記憶の女神ムネモシュネであり、ムネモシュネは音楽、悲劇など劇場にかかわる芸術を司る神だったからだ※5。
 世界の外部にいるという感覚を特徴とするモスクワ・コンセプチュアリスト、〈道化師〉カバコフは、記憶の問題を声高にヒューマニスティックに主張することはない。たとえばゴミを使った一連の作品は、充分滑稽ですらある。「なにかを捨てることは記憶を捨てることである」と考えてすべてのゴミを、ゴミを拾った時間と状況を記したメモをそえて部屋にしまっておく男には、ボルヘスの小説『記憶の人フネス』につうじるアイロニーの影が揺らめいている(インスタレーション《けっして何も捨てなかった男》(1977))。しかし拾われた場所と時間が明記された、持ち主不明の大量のゴミは、行き場を失った遺失物を思わせ、遺失物の元の持ち主を想起させずにはおかない。その場合、1933年にソ連のユダヤ系家族に生まれモスクワで半生を送ったカバコフにとって、遺失物の持ち主が死者であり、この作品が無数の死者の遺失物保管所、すなわちソ連の収容所群島と、ユダヤ人の絶滅収容所のイメージに収斂していくことは否めない。この作品は、単なる保管所ではなく、アウシュビッツの一室、収容者たちから没収された持ち物だけが積みあげられたあの誰もが知っている部屋へと通じていくのである。なお、つけ加えておくなら、カバコフ以外のモスクワ・コンセプチュアリストたちも、ほとんどがユダヤ系だった。従来、コンセプチュアリストの中で、ホロコーストの問題を自らのコラージュないしコンセプチュアリズムの手法と結びつけて驚くべき豊穣なテクストを産出しているのは、ひとりウラジーミル・ソローキンのみだと考えられてきたが、「リトル・ゲットー(Misiano,V.)」と呼ばれもしたモスクワ・コンセプチュアリズムにおけるホロコーストのテーマについては、再考の必要がある。
 ソ連の共同住宅の台所を舞台にしたインスタレーション《共同キッチン》(1991)も、ゴミのテーマに分類される作品である。この作品では、狭い共同キッチンでかわされたであろう住人達のおしゃべり、罵りが、小さい紙きれに書かれ、天井から一面につるされている。カバコフは自作年譜で、「あの「声」を記録しはじめる。私をとりまくソヴィエト社会の無名の叫び声、私の頭の中でたえず響きわたっているあの叫び声を。だれかの耳に届く機会をその声たちに与えてやるために」と述べている。それらの無名の人々の「声」も、本来はゴミとして捨てられる運命にあった。しかしここでは記憶者の手によって拾いあつめ紙きれに記されて、永遠に保存される――ある意味でカバコフのこの姿勢は、ゴミを袋に集める男を描いたアンドレイ・プラトーノフや、祖先の遺品を保存する巨大な博物館を夢みた思想家ニコライ・フョードロフの系譜に連なっている※6。カバコフは、この作品にそよ風が吹きこんで、紙切れが一斉に揺らめく光景が好きなのだという――風は追憶の行為の象徴でもあるのだろう。
 カバコフの書くテクスト、物語は、たとえ一人の主人公をめぐるものであっても、一人称では語られず、かならず、その人をめぐる様々な人物のコメントから成りたつ。ゴミをテーマにした作品も、もしゴミに語りがあるとしたら、当然一人称の語りには分類されないだろう。なぜ非一人称で語るか──それは絶滅収容所を描いたクロード・ランズマン監督の映画『ショアー』の語りと同じで、ホロコーストを語る唯一の可能な語りだからだ。ホロコースト、すなわち死者に関する一切の記憶を組織的に抹消しようとした人類史上初の事件を、現代の人間が特権的な一人称で語り再構成することは不可能である。ひたすら過去を想起するという行為によってのみ、消去された記憶に近づいていくことが可能なのである※7。
 インスタレーション《赤い車輌》(1991)も、やはり記憶の問題に貫かれている。三部構成のこの作品では、ソ連初期の希望に満ちた時代を表す上向きの階段が、小さな車輌に続いている。車輌内部には窓のかわりに美しい絵があり、ユートピア的なソ連の風景が描かれている。しかし車輌の反対側に一歩踏みだすと、そこにはゴミがうず高く積まれ、今まで見ていたものが幻だったことを知る・・・・・・ この《赤い車輌》が90年代にウィーンで展示され、ソ連の観光団が訪れた時のこと。彼らは車輌の中に置かれたベンチに座り、美しいソ連の風景画を見ながらBGMのいかにも30年代風の音楽を聴くうちに、昔の夢に再びとらわれ、立ちあがって作品の中で踊りはじめたという。カバコフの作品は、体制に対する風刺性を保ちながら、その時代へのノスタルジーをも内に抱えている。カバコフは、その時代を全否定し、ゴミとして捨てさることはない。ソ連を大きな「ゴミ」として葬ろうという言説が支配的である今、カバコフはまさに記憶の住む場所として作品を作り続けているかのようだ。翻って考えるなら、過去の再現や記憶の保存は、演劇・叙事詩・絵画などジャンルを問わず、芸術本来の役割だった。また、庭や廃墟は、(ロシア詩の伝統的なモチーフでもあるように)元来、過去を追憶する装置として機能してきた。カバコフはそれらの伝統をふまえ、自らのインスタレーションの中で、ソ連時代という失われた廃墟を追憶のために意識的に復元しているのかもしれない。
 カバコフは作品でハエのモチーフをくりかえし扱い、自らをハエになぞらえることがある(インスタレーション《ハエの生活》(1992)、《女王バエ》(1965)他)。ハエのモチーフも記憶の問題と結びつけて考えることができる。フランドルの画家ヤン・ファーブルとのコラボレーション映画《出会い》で、カバコフはこう語っている。

 ハエはきょう、つまり今現在だけではなくて、きのうを見ることもできる。レオナルド・ダ・ヴィンチの時代や、おそらくはファラオの時代にも飛ぶ。ハエは空間だけでなく時間の中をも飛ぶんだ。ハエはいつでも、過去に向かって無限の時間を自由に飛ぶことができる。現在に戻ってきたら、たぶんハエは未来にも飛んでゆけるんだ。たぶんハエは、この観察する眼は、未来に移動してものを見て、瞬時のうちにすべての時代に関する情報を集めるんだ、きょう、きのう、あしたの。これはハエの神秘的な面だ。もし何らかの方法で接触できて、もちろん彼らも同意のうえでだけど、そうしてその情報をコピーし彼らの知識を集めることができたなら・・・・・・、ぼくたちは過去や現在や未来のすべてのことを知ることになる。 (嶋崎吉信訳)

 時空を越えていつも人間とともにあり、人間の営みをすべて記憶している翼のある存在──それはふつうハエではなく、天使と呼ばれる。すなわち、カバコフにおけるハエは天使のメタファーであり、ハエになりたいというカバコフの願いは、さながらヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』における天使、真の記憶者をめざしていると読み解くことができる(先述の《かれらはどこ?》と同題の別作品(1975)では、「大きなお皿はどこ? ロザリアの肖像画はどこ? ──ピョートル・イリイチはすべてをたずさえて去っていった」というテクストの横に、飛び去るハエの姿が描かれている。ここでもハエは記憶の守護者であり、光の矢のように過去へ飛んでいく人間の意識、すなわち追憶自体の象徴でもある――かつて、ロシア象徴主義の詩人アンドレイ・ベールイが、追憶を指して「自意識が幼年時代へ飛んでいった」と書いたように――)。カバコフは次のようにも述べている――「ハエは世界中どこにでもいるが、特にロシアの上空にたまっていて、ロシアのエネルギーをすいとっているから人も経済も落ちこむのさ」。一見人を喰った一節だが、旧ソ連が巨大なプロジェクトの失敗として忘却の淵に沈みつつある今、記憶を司る天使の分身であるハエがロシアの上空に集まっているというカバコフのメッセージにはもっと留意する必要がある。
 カバコフは自分の役割について「古文書館員であると同時に歴史家であり、批評家なのだ」という言葉を残している。記憶者、歴史家であることと、創造者、芸術家であることはカバコフにおいては矛盾しない(ある意味でシャルル・ローゼンタールもその両面をもつ画家として構想されている※8)。カバコフの作品中の登場人物、「コレクター」と呼ばれる男は、古い絵はがきに手を加えてコラージュし、自分の作品を次々と作りだしていく(インスタレーション《コレクター》(1985−88))。「コレクター」が生みだす作品の多くは、ロールシャッハー式テスト風に見るなら、蝶や飛行機の形をしている。カバコフの作品には、蝶、ハエ、鳥、飛行機など、空飛ぶものがしばしば現れるが、これは天使のメタファーであり、さらには、世界の外部に立ち世界を相対化することによって自由な位置を獲得し、自在に移動できる自由な魂の視覚化である。ソ連時代、過去を掘りかえすことは許されず未来は五カ年ごとに計画されていたあの時代に、多少とも精神的に自由に生きるためのあり方、すなわち天使のように時空の「外側」に立ち、コラージュ的な相対的な世界観で社会に接すること、この作品はそうした態度の表明として受け取ることができる。
 カバコフが提示するこれらの記憶、過去との関係の問題は、たしかに共産主義体制下での特殊な状況、すなわち粛清、記録の抹消、尋問・暴力による記録の捏造、記憶の改ざん、および、革命・戦争・政権の交代のたびに都市や通りの名前を改名し、独裁者の銅像をひき倒す国家のあり方と強く結びついている。カバコフの作品が西側で発表された時、多くの観客はそれをソ連独自の悲惨な状況を表したものとみなし、自分たちには無関係の事として受けとめた。しかし、記憶の問題は今後の世界全体の問題であり、管理と監視という収容所的状態もまたロシアだけに限定される問題ではない。軽やかな遊びのようでありながら、名づけの問題、死者を追憶する責任など、様々な側面から記憶の問題を提示するカバコフの作品は、決してソ連とユダヤだけに関わるものではなく、現代的な批評性を獲得しているといえる。

※1: カバコフと絵本の関係については、鴻野「不思議への扉――イリヤ・カバコフの絵本」(『BT美術手帖vol.54 No.828 2002年12月号』 美術出版社、2002年 53-60頁)を参照されたい。
※2: 於:ナディッフ(1999年1月15日、5月19日他)。また、水戸芸術館でもカバコフの朗読会が開催された。ナディッフでは1998年12月28日〜99年2月1日、カバコフのドローイング、ポスター、アーティストブックの展覧会も開催された。
※3: イリヤ・カバコフ『クローゼットのプリマコフ』(CD-ROM)鴻野わか菜訳、ロシア語朗読:イリヤ・カバコフ、日本語朗読:笠原拓郎(ドラアーツ、1999年)
※4: アンドレイ・プラトーノフ『土台穴』亀山郁夫訳(国書刊行会、1997年)
※5: 《10の人物》については、鴻野「天使の記録 イリヤ・カバコフ『10のアルバム』」(『多分野交流論集 とどまる力と越え行く流れ 文化の境界と交通』(東京大学大学院人文社会系研究科多分野交流プロジェクト、2000年 245-260頁)を参照されたい。また、カバコフ作品全般については、沼野充義編著『イリヤ・カバコフの芸術』(五柳書院、1999年)に詳しい。
※6: プラトーノフ前掲書。また、フョードロフについては、スヴェトラーナ・セミョーノヴァ『フョードロフ伝』安岡治子、亀山郁夫訳(水声社、1998年)に詳しい。
※7: 『ショアー』における非一人称の語りについては、港千尋『記憶 「創造」と「想起」の力』(講談社、1996年)参照。
※8: イリヤ・カバコフ展『シャルル・ローゼンタールの人生と創造 カタログT・U』木下哲男・鴻野わか菜・アルフレッド・バーンバウム訳(水戸芸術館、1999年)。 Kono. W. Poetika vospominanij: vesh’ v installyatsiyakh I. Kabakova. 20 Epokha. Chelovek. Vesh’. Moskva, 2001. pp.67-73.

初出:『Slaviana No.14』(東京外国語大学スラブ系言語文化研究会、1999年)205-211頁(2003年加筆)
鴻野わか菜 (こうの・わかな 千葉大学文学部)
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