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1969 神戸に生まれる
ベルリン在住
島袋道浩展 「川の流れを見ながら」
竹田直樹 (たけだ・なおき)
島袋道浩が私の住む淡路島に来る。タコ壷漁の漁船に乗って、タコの写真を撮影するという。いっしょに行くことになった。
1969年生まれの島袋は、世界中を渡り歩いて、作品制作と発表を繰り返している。瀬戸内海で捕まえたタコに日本海や東京を見せにいく「タコ街道プロジェクト」。鹿などいるはずのない町で「ここらへんに鹿はいませんか?」と自転車で鹿を探す「鹿をさがして」。自分の名前に似た鳥、シマフクロウを探しに沖縄から北海道までヒッチハイクする「シマブクロ/シマフクロウ」。サハリン、プサン、上海などへの船旅を紹介する「日本の船旅」………などなどの作品を見たり、その話を聞いていた私は、以前からずっと島袋にあいたかった。作品は、ビデオ映像、写真、ドローイング、書籍、インスタレーションなど多様な形式をとり、詩のような文が付随し、重要な役割を果たす。つかみどころのない表現だが、深い叙情性を湛えた作品群は、私の心を完璧にとらえるものだった。
初めて、「取材したい」とメールしたのは、昨年の春。それから、メールでの会話が8ケ月間ほど続いた。メールは、カナダやイタリアなど海外から来ることが多かった。この間、島袋は招聘を受けつつ、ヨーロッパや北米、フィリピンや韓国を回っていたようだ。いつも平易な日本語で、日常の様子が綴られていた。
初めて島袋にあったのは、昨年の暮れ。横浜に住む島袋は神戸でレクチャー、私は東京での取材の帰り、いっしょに新幹線に乗ることになる。ひかりの自由席で待合せ。島袋は、横浜のデパ地下でカツ丼弁当を私の分も買ってきてくれた。美術の話もしたけれど、美術ライターがアーティストにインタビューするようなやり取りはしなかった。いつもの退屈な新幹線とは違い、またたく間に新神戸に到着。ついてからも駅の近くのオープンカフェで1時間ぐらい話をした。タコは島袋にとって、重要なテーマの一つなのだが、島袋の知人の漁師が高齢で漁に出なくなったという。私が、淡路島で船に乗せてくれるタコ壷漁師を探すことになる。この日はこれでわかれた。
島袋は、かつて雑誌のインタビューで、「僕にとって美術は、マスメディアではなくてミニマルメディアです。美術は狭く、深くコミュニケーションするのにすごく適した数少ないメディアで、雑誌は広く浅くのメディアだと思っているので、たまに雑誌に出ると、矛盾しちゃうようにも思います。美術のうまみは、一対一で会って深く話をしたりすることにあると思うんです。作品というのは基本的に一点しかなくて、それに対して買ってくれる人が一人いたら成り立っていく世界だと思っています。そういう意味で、僕はあまりマスメディアに対して積極的ではありません。」と発言。この日、島袋は私に会いたかったが、取材は望んでいなかった。私も島袋に固い言葉で語ってもらうような取材はしたくなかった。
3月初旬、タコ壷漁にはまだ季節が早い。島袋はそれでも行くと言ってきた。東京での個展が迫っているのだ。そんなわけで、3月5日、淡路島南部の五色町の漁師のところへいっしょに行くことになったのである。
当日、大浜要さんとゑみ子さん夫妻の操る漁船に乗る。仲のよい二人は、とても親切だった。ものすごい方言でタコ壷漁のいろんな話をしてくれた。冬から春にかけて、タコはタコ壷の中で石や貝を抱いている。島袋はこの状況を撮影したいのだ。なぜ、タコが石や貝殻を抱くのかについては夫妻にもわからなかった。あとで私は、兵庫県立農林水産技術総合センターに問い合わせてみたがはっきりしなかった。
船上で、タコ壷の巻き上げがはじまった。島袋は、真剣そのもの。じっと見守っている。しばらくしてタコが入っている壷が上がった。「おった!おった!」とおおはしゃぎの島袋。「あっ、石を抱いてる!」 理由はともかくタコは本当に石を抱いていた。私は、タコは幸せな気持ちになるために石を抱くのだと考えることにした。結局、100個ほどのタコ壷を引き上げ、7,8匹のタコがとれた。ほとんどのタコが石や貝殻を抱いていた。1匹で4,5個の石を抱いているものもあった。島袋は、その石や貝殻を持ち帰ることにする。2時間ほどの短い漁だったが、私には楽しい思い出になる。
この日の目的は無事達成。港に帰った大浜夫妻は、タコを売りに行く。時間に余裕ができた。私と島袋は、近くの海岸を散策。透明な海水が打ち寄せる色とりどりの小石の浜。島袋と流木で舟をつくってしばらく遊ぶ。夕方になった。黄昏時の海や島々を見ながら食事。そのあと島内のバスターミナルへ。話はたくさんしたけれど、インタビューはしなかった。
数日後、島袋から電話。もし私が海に行くようなことがあったら、そのついでに海岸に落ちている板を拾って送ってほしいという。個展の作品展示に使うらしい。私は、自宅の前の海岸に行くことにした。紀伊半島の山々を遠くに望む大阪湾、長い砂浜を歩く。風も波もない、静かな夕方、1時間ほどかけて4,5枚の板を拾う。夕焼けが鏡のような海面に反射し美しかった。この記憶を島袋にも伝えたいと思った私は、拾った板を洗わないで、砂や海草がついたそのままの状態で、東京に送ることにした。
3月15日、島袋の個展のオープニングの日。私は、隅田川に面したギャラリー、SHUGOARTSヘ。島袋と再会、握手。タコがタコ壷の中で石を抱いている写真作品「タコ石」があった。私が送った板の上には、タコ壷とタコが抱いていた石や貝殻が並べられていた。板には砂と海草がついていた。
この個展のメインとなる作品「川の流れを見ながら:明日のために、美術家と画廊が一緒にできること」は、ビデオ映像、壁に書かれた文章、カヌーとビールのインスタレーションによって構成される。作品の内容は、島袋とギャラリストの佐谷周吾らが、中央区新川のギャラリーの前から隅田川をカヌーに乗って、上流の浅草まで往復するというもの。浅草にはこの個展を協賛してくれるアサヒビール本社があり、ビールをもらいに行くという目的がある。映像では、その様子が淡々と描かれる。前半の広々とした明かるい川面を悠々と行くカヌーの姿も爽快だが、後半の豪雨にけぶるビル群とカヌーに乗る人々の姿は墨絵のようでとりわけ美しかった。そして、そのカヌーとオールやライフジャケット、もらったビールが映像のかたわらに置かれている。壁に書かれた文章は、映像やインスタレーションでは、表現しきれない部分を補完するが、けっして説明的なものでも付随的なものではない。この作品は、映像、文、インスタレーションが等価な重みをもちつつ、相互に関連しあいながら一つの物語を形成。
問題は、その物語が何なのかということだ。それは、島袋の幸福な記憶なのだと思う。この作品の場合は、画廊の人というより、一つの目的を共有する身近な人と小さな冒険を楽しんだという記憶。
島袋は、ちょっとしたことかもしれないが自身の幸福な記憶を他者に伝え、ともに幸せになりたいと考えている。そのために、島袋は、自らが幸せだと感じられる体験を積極的に試み、その記憶を伝えるために様々な表現手法を積み重ねる。その中には、レクチャーや一対一の直接的なコミュニケーションも含まれる。島袋は他者とのコミュニケーションの広さより深さを重視する。
佐谷は、島袋のことをファンダメンタル(原理的)で吟遊詩人のような作家だと言っていた。私たちは日常の社会生活の中で無意識のうちに様々な価値観に侵されている。洗脳されていると言った方がよいのかも。島袋の表現の中には、社会に侵されていない、純粋な何かが宿る。だれもがかつては持っていた子供の心のようなもの。それは、鑑賞者にその事実を気付かせる。この点でたしかに原理的。そして、世界中を旅しながら、その土地での経験と素材を用いて作品を制作し、現地で発表する活動形式、加えてビジュアリティではなく幸福感とでもいうべき概念を表現の目的とする態度はたしかに吟遊詩人のようだ。
オープニングパーティーの代わりに、隅田川のテラスで、集まった人たちと凧あげをした。島袋が中国で買ってきたタコやコイの形をした凧をみんなで上げた。島袋も盛んにやっていた。私は撮影していたのでしなかったが、川辺で楽しそうな人々を見ているだけで楽しかった。
そのあと、島袋や佐谷、島袋のパートナーのアーティスト、野口理佳らとインドカレーを食べ、酒を呑んだ。
私は、島袋との間に生じた小さな出来事を思い返しつつ淡路島に帰ることにした。それは、どれも幸福な記憶だった。
私には、その全てが、島袋の作品だったのではないかと思えた。
竹田直樹 (たけだ・なおき)
初出テキスト 雑誌 ソトコト No.51 September 2003 木楽舎発行 「アートの風景学12」pp.118-119
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