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| 森 (ソンムの戦いがあった森/デルビルの森・フランス) |
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| 景色に現れない恐怖:米田知子の写真に対する熟考
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| テキスト:Guy Moreton |
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『丘で、そして、森の窪みで探していた物は、ついに海で発見された;質から量への変化。』
『海を眺めていると同時に、眺めているのは海ではなく、眺めることが償いなのです』 トーマス・A・クラーク (2000年) |
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『崇高と美の観念の起源』(1757年)という哲学的な探求において、エドマンド・バークは、非常に心を動かされてしまうがゆえに、恐怖を感じてしまうという概念に特に注目した。彼は崇高さを感じさせる特性をリストアップした。巨大さ、無限性、唐突さ、光、そして闇。崇高さは恐怖心を誘発するとバークは定義したが、彼はこの恐怖心には喜びが混在していると考えた。次のような場合は特にそのような混在が見られるとしている。『痛みに対する恐怖は私たちに恐ろしい苦痛を与えるが、私たちをあまり脅かすことはない。』
米田知子の写真『森(ソンムの戦いがあった森/デルビルの森・フランス)』(2002年)には、静けさに満ちた平穏な荒れ地の景色が写し出されている。足を踏み込めないほどに鬱蒼とした森は、私たちの持っている自然に対するイメージを取り囲み圧迫する。巨大で威嚇するような木々の幹は光の筋で私たちを導き、虚空へと迷い込ませる。幅の広い葉や枝から成る緑の天蓋の下という私たちの視点から見た眺めには、あるいはアンゼルム・キーファーの『Varus』(1976年)にあるWaldsterben(=森の死)についてサイモン・シャーマが『風景と記憶』(1995年)の中で記述しているように、人はこの崇高な場面に付随する恐怖を感じるのだ。ここにある木々は存在という地球の連帯感にしっかりと根付いているだけではなく、森のその向こうにある、不可解で定義不可能な歴史と記憶の深みにも根ざしている。米田はこの歴史と記憶を掻き立てる。であるならば、私たちに先んじて支配し、見守っているのもこの緊張感なのだ。
地上と海の景色は米田の思想を顕著に表しているように見える。アーティスト、詩人、作家が嘆くほどまでに支配的なモチーフが、である。現在目にする衝撃的な出来事というのは、歴史的評価と目に見えない物悲しさの間に平然と存在しているのだ。イースト・アングリアという町での暮らしぶりを書いた放浪回顧録の中で、晩年のW.G.ゼーバルトはサウスウォルド滞在中に1964年のブリュッセル訪問とワーテルローの戦いの記念館への訪問を詳細に書き記している。
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| このものすごい三次元の景色、そこには時間という冷たいほこりが降り積もっており、観客の視線はフランス人画家ルイ・デュモンタンが1912年にサーカス小屋のような建造物の内壁に描いた110×12ヤードという巨大な壁画の水平線に引き寄せられる。私は辺りを見回し、考えた。ならば、これは歴史を表現しているのだ、と。それには視点の歪曲が必要とされる。生き残りである私たちは、全てを上から眺め、全てを同時に眺めている、それなのに私たちは未だにそれがどんな風だったのかを理解していない。荒涼とした野原が辺り一面に広がっているが、そこではかつて5万人の兵士と10万頭の馬が数時間の内に死を迎えた場所なのだ。戦いが行われたその夜、大気は断末魔の叫びやうめき声で満ちていたことだろう。今、そこにはひっそりと茶色い土があるだけだ。 (ゼーバルト 1998年: 124-125)
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| 丘 (連合軍の空襲で破壊されたベルリンの瓦礫でできた丘) |
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ゼーバルトの文章は、ありふれて見慣れてはいるが興味をそそるような風景で読者を誘うのが常だが、その親しみやすい風景は彼が非常に雄弁に文章の中にとけ込ませる事件や放浪の話へと導くための第一段階なのである。このようなイメージを想起させる彼の奥深い能力は、その散文の疑いようもない美しさによるところも大きいのだが、むしろ私たち読者が対峙する歴史につきまとった暗闇によるところが大きい。ここで再び米田の写真に話を戻そう。空虚の美を表している米田の風景写真は、その美しさを「景色には現れない(unscene)」崇高さへと変化させる。『丘 (連合軍の空襲で破壊されたベルリンの瓦礫でできた丘)』(2000年)という彼女の写真作品は、静けさに包まれたアンニュイな風景、心象風景、を描写している。この丘ができあがる以前、クリストファー・イシャーウッドがバルコニー付きのファサードにある自分の窓から眺めていたことを『さらばベルリン』(1939年)に書いているのだが、この文章は写真の本質を表している。『私はシャッターが開いたままの、非常に受動的な、記録するだけの、思考を持たないカメラである・・・いつか、記録の全てを現像、注意深く印画、紙に固定させなければならないだろう。』
遠くにかすんだ地平線は見る者の視線を惹き付ける。17世紀のオランダでヤン・ファン・ホイエンのような画家達が描いた「land-schap」絵画と同じように、空の広大さ、そしてほとんど特徴が無い平坦な景色が写真の長方形フレームの中で測量される。大型カメラが作り出したこの美しさによって、観客は本当に細かな部分、芝生の一本、時折見えるゴミ、そして乾燥した不毛な土地に点在する淡い黄土色のまだらまで観察することができる。高層ビルが物語るように、都市から遠く離れた郊外であり、工場の煙突が排出する煙は陰気に空を覆う雲になり、圧倒的ではあるが奇妙に明るい灰色の空になる。まるで(ロラン)バルト風のオーラがその画面上に漂っている。これは、タシタ・ディーンがベルリンのアトリエからPostscriptに投稿して、後にジェレミー・ミラーとの共著『Place』(2005年)として出版された『場所』に関する描写にも通じる。『場所に関する記述をしようとしていて実感しました。場所というのは大抵、感覚や感覚の記憶を通じて心に思い描くほうが鮮明なのです。今、私がベルリンの東側に行こうとすると、安っぽい褐炭の匂いを大気中に感じます。それというのも、私にとってそこはドイツ民主共和国があった場所なのですから。』(ディーン 2005年: 178)
郊外は本来「下方にある街」を意味しており、私たちが見ているのはある意味まさしくそれなのだが、目に見えはしない。強制的な破壊と葛藤による実態のない本質は、空想(utopia)的な過去から、時間的に孤立した奇妙(atopia)な場へと変化した。
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| スナイパー・ビュー (セルビア軍スナイパーのポジションからサラエボ市街を望む)) |
ロバート・スミッソンが『Strata: A Geophotographic Fiction』(初版:1970-71年)に記述した文章(スミッソン 1996年)によって、落ち着きを持った表層の下に存在する複雑さ、そして時には恐ろしさも含む歴史の積み重なりに気づかされる。米田が撮影する景色/景色に現れないものとは、メタ(超)物語性が存在する写真である。この写真のメタ物語性は、その現場と記憶および場所の背景事情によって明らかにされる。彼女は最近作で、紛争後のベイルートとサラエボの景色を探求している。『スナイパー・ビュー (セルビア軍スナイパーのポジションからサラエボ市街を望む)』(2004年)の写真にあるサラエボの街を取り囲む冬山は、街自体の眺めに叙事詩的な雰囲気を与えている。この街を一望にした構図は意図的なものであり、ここでまたバークの崇高さに関する情緒的な主張が思い起こされる。ことによると私たちは、この写真作品の題名に特に関連させて、眺望と権力の持つ関係性についても考慮するべきかもしれない。この作品は本質的に監視と恐怖を表した作品である。以前、この場所ではある場所から別の場所へ移動するだけで、挑発的あるいは攻撃的な活動を行っていると見なされた。米田の超然とした「客観的」な感覚は、彼女の楽観的な展望に矛盾する。海が無いまま、またトーマス・クラークの話に戻るが、私たちを解放するのは眺めることであり、眺めることで希望は引き継がれていくのだ。
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| pp.206-211, Art in the Age of Terrorism |
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